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介護施設入所と『死ぬ瞬間』と緩和ケア

高齢者が介護施設に入所するというのは、多くの場合、日常生活の維持・支援が目的だ。しかし、環境が変わり、自分の体や命の限界と向き合う機会が増えるということは、「終わり」を意識せざるをえない局面の始まりでもある。

そんなとき、心の中で起きる戸惑いや不安は、単なる「施設生活への慣れ」以上のものかもしれない — それは、ゆるやかに「死」という現実を受け入れるための心理的プロセスの“入り口”かもしれないのだ。


『死ぬ瞬間』と「5つの心の段階」

100分de名著 で紹介されている『死ぬ瞬間』(原題 “On Death and Dying”)は、精神科医 エリザベス・キューブラー=ロス による、終末期患者への長年のインタビューをもとにした名著だ。著者は1965年に約200人の終末期患者と対話し、「人は死に直面したとき、心理的にいかなる変化をたどるか」を分析した。 (版元ドットコム)

その結果、広く知られるようになったのが「死の受容過程」の5段階:

  1. 否認(/孤立)
  2. 怒り
  3. 取引(“なんとか時間をのばしたい”“神さまお願い”)
  4. 抑うつ
  5. 受容 (看護roo! [カンゴルー])

このモデルはもともと「終末期医療や看取りの現場」で提案されたものだ。 (マイナビ看護師)


高齢者の施設入所にも、5段階の心理が起こる可能性

「死」は病気や診断だけがきっかけではない。身体機能の低下、家族や親しい人との別離、日々変わる価値観――さまざまな要因で、人は“限りある命”を意識する。

だからこそ、施設入所を機に、「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」といった心理の揺らぎが起きることは、決して不自然ではないと思う。特に、これまで自立した生活を送っていた人にとっては、「自分はまだ大丈夫」と思う気持ちと、「でも、これからどうなるのか」という不安が交錯することだろう。

そして、もし入所者が以前に比べて「わがまま」「理不尽な要求」「怒りっぽさ」「不要と思える取引的発言」などを増やしていたら……それは、単なる“わがまま”ではなく、「死」に直面する心理の表れかもしれない。


「VIP」であればあるほど、その揺らぎは大きく なぜか?

本書やその後の臨床知見でも、人生で認められ、尊重されてきた人 ―― “社会的地位が高かった”“自分の判断で生きてきた” ―― ほど、“自分らしさ”を奪われることに強く抵抗を示しがちだ。 (東京大学学術機関リポジトリ)

つまり、尊厳や自己決定権を重んじてきた人ほど、「施設という新しい制約」「身体の衰え」「終末への不安」に直面したとき、「否認」「怒り」「取引」の反応を強める可能性が高い — それは、喪失への本能的な抵抗、叫びのようなものかもしれない。

この葛藤は、介護施設や医療現場における“ケアする側”にとっても、見過ごせない重要なサインだと思う。


「カスハラ(患者/利用者・家族からの過剰要求・クレーム)」の背景にあるもの

近年、医療機関や介護施設で、患者さんや家族からのクレームや過剰な要求――いわゆる“カスハラ”が問題になっている。

もちろん、全てのケースが心理的な「死の受容過程」によるものではない。しかし、もしその背景に「不安」「恐怖」「喪失感」「死への予感」があるとしたら、その言動をただ “理不尽” と切り捨てるのではなく、「心のSOS」と捉える必要があるのではないか。

高齢者も、認知症の人も、重い病気の人も――みんな「いつかは死ぬ」という現実に直面する可能性を持っている。そんなとき、言葉や行動でしか表せない“叫び”に、耳を傾けること。それが、ケアの本質だと思う。


「緩和ケア」は、命の質を守るために必要なケア

しかし現実には、日本ではまだ「緩和ケア」の認知や理解は十分とは言えない。終末期=ただ苦しむだけ、というイメージが根強く、「最後まで苦しい」「できるだけ延命」だけが求められがちだ。

だが、緩和ケアは「延命か否か」ではなく、「その人らしく、穏やかに、尊厳を保って“最後まで生きる”」ためのケアだ。身体的な苦痛だけでなく、心理的、社会的、スピリチュアルな苦痛にも対応する。つまり、“死”を孤立させず、本人も家族も含めた支えをつくるケア。

もし、施設入所の高齢者や患者さんが「否認」や「怒り」「取引」「抑うつ」を見せたとき――それを病いやわがままと片づけるのではなく、“死への恐れ”、“尊厳の喪失への抵抗”として受け取り、緩和ケアの視点で関わることで、「穏やかな最期」「納得の最期」に近づけると思う。


終わりに — 「施設入所=終活のはじまり」と捉えるために

介護施設への入所を「老後の安心のひとつ」と考えるのは自然なことだ。しかし、そこには「生活の保証」だけでなく、「人生の終わりをどう生きるか」という、新たな問いが潜んでいる。

そして、その問いに正面から向き合うとき、私たちは「死」をタブー視するのではなく、「ゆるやかな受容」「尊厳のある見送り」「心のケア」を同時に用意する必要がある。

私たちが今、施設で・医療で・家族でできること。 それは、ただ命をつなぐことではない――人としての尊厳をつなぎ、心に寄り添うこと。